- Quality of Life - 前立腺 ダヴィンチ手術の顛末記

「入院からダヴィンチ手術、術後までの記録」全快御礼!

第三章・術後2日目| 4/10 (金) 少し暇です

おはようございます。術後2日目| 4/10 (金) を迎えています。
5時過ぎグルーミングで、調子よし、です。
術後2日目の4/10 朝3時半から4時の間に、待望の空砲(おなら)と実弾(排便)を5発発射!で腸の具合もすごぶるよし、です。

👉術後の早い段階から「胃が動いている」ことは看護師さんが聴診器で確認済みでしたが、これでおならも出て👍(Good!)
髭剃り、歯磨き、洗顔、シャワーにまだ入れない分、便宜的に濡らした手拭きペーパーで頭髪も軽く手入れする…などでグルーミングもまずまず。

👉今日は午前中にとても熱い長めのタオルが2本配られました。これで全身を拭くことが出来ました。あぁ気持ちいい~。素っ裸の時、看護師の入れ替わりで交代の人から声がかかり、5分待ってもらいます。今日の担当看護士はKさんで30代かな。

❌あと2日間はシャワーに入れない。つまりお腹の穴を樹脂用のボンドみたいなので蓋をして固めているのと、腹中からの血抜き穴などを抜いてからなんだろうなぁ。感染をしないよう「抗生剤」点滴をしているのはこのためなんですね。夜中も点滴の量を見てくれて交換してくれます。

◉昨夜はI教授、次いで主治医ドクターAさん(お若い)が来て、お腹も傷口のところの(腹筋の??)痛さ以外、痛みはほぼ皆無で好調です。今朝4日目4/10 (金)からは朝ご飯が出ます。調子いいんで全く心配いらない!

大きな穴(切除した患部組織を特殊な医療用バッグに入れて、体から外部へ引き摺り出したその場所)がヘソの上にあります。その右斜め上に穴を開けて、管を皮膚の下に挿管してあります。それで腹部の体液と思しき滲んだ赤い液を圧力かけて(?) 排出する仕組みのすごく特殊な薄手のバッグ(医療機器)を装着していましたが、
↓これがそのバッグのカバー(入れ物):面白い言葉が書いてある…w。 

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上のビニール製の正方形様のバッグの中には、透明の堅い樹脂製の密閉容器があり、それは、どうも中央部にはマグネットがあるらしい。それで体液容量が少ない時には二枚の四角い板が中央で磁力で密着する形で薄くなっています。ところが体液が身体から吸い出されて容器内に充填されて量が増えてくると、容器が普通5cm位の厚さのものが10cmくらいまでにも膨らむので、パンパンに張っていて破裂しないのかとちょっとドキドキします。
その体液もほぼ出なくなっている感じです。(これは自然に止まるらしい)

術後2日目・入院4日目(2020/4/10)です。病院内はシーツ交換日らしく、シーツや上掛け、枕、青い防水シート(腰の位置に敷いてある)を交換されました。男性介護士と後輩っぽい若い女介護士の2名が巡回して来て交換作業を行いました。二人の会話がなんか面白い。病院の先輩後輩ってこういう会話なのか…という感想です。
なおゴミ捨てと掃除は毎日AMにおそらくは契約している清掃会社の人が来ます。 
💮今日はベッドの頭と足の手すりを消毒液と布で拭いて廻っていたのが印象的でした。多分コロナ感染予防でしょう。病院も気を付けていることが実際にも分かって安心します。

👉今日の担当看護師さんはKさんで元気の良いテキパキ型。朝一で検温と血圧測定の時、部屋の4人一人ひとりにきちんとしたご挨拶でした。印象が強く残りますね。
排尿状態のチェックに、その回収と廃棄、生理食塩水の点滴交換などしてくれます。
本当にみなさん面倒見がよくて有難いです。みなさんやさしい。感じよいです。

◉看護師さん達は必ず代車付きのF社製ノートPCを携行しています。いちいち患者
のデータなどを打ち込んでいますね。Kさんはキーボードの「圧」がすごかったので
その音で…思わずカーテンを開けて「なんだ?」と見てしまったくらい(笑)
👉超テキパキ型である。それで少しお話しをしました。

ぼく:「排尿の感覚がないんだけど…」

Kさん:「管を挿入して自然に出るようになってますからねぇ」

「リハビリで狭いけど6階の廊下を歩いて構いませんよ。実は運動する人と
しない人で結構差が出ます…」とのこと。
こんな他愛のない会話ですが、すごく刺激をもらいます!

💮夕方、暇になりエレベーターで上下を往復します。
B1Fの7-11へ行き、百円コーヒーを買って持ち帰り、談話室で飲み。6階の廊下を
数往復歩いて独りリハビリを実行。ついでに廊下の突端で爪先立ち100回とか(笑)
珍しくI先生がナースSTN.でパソコンをご覧になっていて、お互い気づいてご挨拶。
外は夕暮れ、3日連続の晴れ☀️です。ここの6階からはマンション群、高津区
二子新地や世田谷区の二子玉川までも望めて見晴らしがイイ。
歩き始めて今1時間がたった、五時半前です。

 

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‪さて、花の写真でもみて和もう。‬
‪#家にいよう #家にいましょう

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第二章の2_入院3日目:2020年4月9日

昨年(2020年)4/7に大手大学附属病院に入院して、翌8日午後に予定したダビンチ手術を無事に受けました。「手術は成功」と執刀医の教授 I先生から言われて一安心していました。

 入院3日目は手術の翌日に当たります。一年前に書いた原稿の束を見返したら、4/9は何も書いていませんでした。その理由、本人も今は分かりません。

 手術翌日ということで、やや心配や元気(体力気力)が減衰していたのでしょうか。特段、我慢できない位非常に痛かったとかではありません。調子が悪かったのか?などの記憶も一年後の今となっては残っていません。

 「ダビンチ手術」最新鋭のロボット支援術式で、メスで開腹するのではなく、「穴」を5ヶ所(だったけな?)開けるだけ・そのために失敗もごく少なく安全であって、予後の回復が速い…、とは言え、まだ体を起こしたり動かすと当然痛みがあるわけです(それは覚えています)。それに加えて後で描写しますが、お腹に差し込まれた管とそこから滲み出るのを見たりの「新体験」です。さすがに「ビビッて」(?)意識してあまり体を動かさずに、終日「様子見」をしていたのかもしれません。(一年後の想像)

ということで次は、手術後2日目に当たる4/10の話しを明日Upすることにします。

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スペイン坂の桜(2021年春)

 

第二章・入院2日目、手術する|2020/4/8 (水)

第二章・入院2日目、手術する日|2020/4/8 (水)
◉6時起床時間ですが6時半過ぎに、看護師の夜番女性が部屋に巡回
問診と検温に来て目が覚めました。今日はいよいよ手術の日です。

・手術室とその後のHCU*へ持っていく持ち物を聞いて確認。手術着に着替えますが、中は全裸です。下着も身につけません。前をはだけ、肩と腕の辺りをはがすと上半身がすぐに出る形状のもの、厚めのタオル地様でした。
そして指定された「医療用弾性ストッキング」を両方の脹脛に装着します。これは術中に足を数時間動かさないことによるふくらはぎで発生する血栓を防ぐ為のツールということです。まぁ、サッカー選手になった気分ですね。しかも術中は自動機で足をマッサージすると聞いています。実際そうでした。また手術後に部屋に戻った後もその日マッサージ機はつけられたままでした。そういう点ではリスク回避対策がしっかりとしていると思えますね。安心です。

*HCUHigh Care Unit の略で、手術後の手厚いチェックを行う機能部屋。

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それと「T字帯」…要はふんどし、ですね。これも着けていくとのこと。こんなのを着けるのはほとんど初めてかもしれません。(祭りに行く地方の人は慣れているでしょうけど)
その他、自身の常備薬、スマホも持参はOKとのこと。部屋のボックスの鍵を持っていくと手術後に返される、などなど、会話で拝聴します。

・自分が持参したブリーフ型オムツは、術後に着けるべき、テープで止められる開放型の病院のものと無償交換してもらいました。これで買わずに済みます。
(地下1階にはコンビニ売店があり、いつでも購入が出来ます。念のため)

・体温測定36.6℃、血圧高い;上150。(下は忘れた) 10時すぎると絶飲食です。お茶を飲んだら下剤が効いてくる感じ。昨日の排尿回数、数えてないけど大体5、6回と報告。・・;  
…と言うことでお茶をペットボトルから飲み、下剤効果を高め中(一所懸命メモ)。

あとスマホを充電。髭も剃っておかないといけないとの説明書きあるので、病院へ電気シェーバー持参は正解でした。朝起きてからのトイレ2回目。個室トイレで電気シェーバーで髭を剃りました。

あとは、歯磨き。そうこうしている間に同室の方々は朝食を終え、洗面台で歯磨きとうがいの音が聴こえています。テレビを点けると、4/8 午前0時発令の「緊急事態宣言」に関する各テレビ局の報道…1ch, 4ch, 6ch, 8ch。
スマホ充電🔌🔋100%

◉まずは着替えておくとの看護師指示あり、トイレの後、着替えている途中で、午後1時少し前に執刀医の先生が来られ、ご挨拶。その前に管理栄養士が「エビ」「かに」のヒアリング。手術着に着替えて点滴を看護師さんがつなぎなおします。圧迫ソックスはビニール袋に入っていた装着方法の説明書きを読んでその通りやってみたはずがうまくできず、結局看護師さんに教えてもらって両足に装着。いよいよです。

手術は1時半開始です。その5分前には2階へ降りることに。ストレッチャーではなく
自分で歩いていきます。

テレビ映像から;2020/4/8 (水) の朝8 : 35 時点の渋谷駅前の様子👇「ガラガラ」

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こちらは横浜(桜木町)駅前です👇

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この後、時間が来て、女性看護師一人に付き添われて2階へ降りました。

手術室前の前室が受付エリアになっていてカウンター奥にも看護師。
そして手前の空きスペースにも2人の看護師さんがいて、名前を言わせて
本人確認や、手術の内容まで問われて「〇×〇×です」と返答。
・右手のネームタグのバーコードをチェックしてから、看護師がバトンタッチ。
・そこから手術室の看護師さんが横について、自動ドアをくぐって自分の足で
歩いて手術室へと入室していきました。初体験です。
◎部屋はおそらく20~30畳くらいでしょうか。中央には手術台が待ち構えています。
部屋の周辺には、例えば天井に届くようなアームの先に照明用ライトがいくつも
付いた機械類や測定装置(?)のようなものとか、いろいろな医療機器が部屋の
端に設置されていました。首を回して一回り見たつもりですが見慣れない機器
ばかりでもはや記憶はありません。しかし覚えているのは、
「どれがダビンチなのかは分かりません」ということでした。

◎そんな好奇心であれこれを聴く暇もなく、次々に指示をされます。
手術助手を務める看護師は3人くらいいたでしょうか。生体モニターの数値を読み上げる人。術着をはだけて準備する人…。 踏み台に足を乗せて、ある程度高くなっている手術台に横たわります。そして上下の位置合わせなどをしました。いよいよです。

人工呼吸器マスクが口と鼻に装着され、麻酔ガスが出ますよ、と説明。
数回深く呼吸するように言われます。「程なく眠りに落ちますよ」と言われ、
たぶん4,5回スーハー繰り返しているうちに。
あっと言う間に意識がなくなりました。

◎その間、麻酔医で術前説明をして下さった女医さんがいらっしゃると、そのマスク姿から眼だけで認識した程度ですが、たぶんその人が麻酔助手と何やら薬の横文字名称などを会話していて…。
・・・そして私は深い眠りについたのでした。

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ロボット支援下手術(ダ・ヴィンチ手術)の様子

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(写真は横浜市立大学病院のウェブサイト掲載の写真)

◎次に目覚めた時; これは眠りから目覚めたと言うより、
「朦朧としている意識が少しだけ覚醒し始めて、周りの声が聞こえ始め。。」
ベッドへと体を移す合図があり…。場所が移動されて動かされた感覚だけは
ありました。あぁ終わったのか、という感覚だけです。何も考えられません。

◎切り取った『患部』組織を目の前に見せられて大きな声で「分かりますか?」
「見えますか!?」と執刀の医師(科長・教授の先生)から言われました。が
ほとんど認識出来ません。目の前に赤い塊があった記憶だけかすかに残っています。
まだ麻酔が効いていました。

・酸素吸入の人工呼吸マスクが鼻と口とを覆っていましたが、これは後で気づき
ました。

・まず意識を持ったのは、「痰」が鼻の奥に使えていて「呼吸しずらい」、
喉がつかえるような感覚を覚えますが、唾をのみ込めません。喉や鼻は自分
の器官なのに、意識で思うように動かせず、痰がつかえる感覚で苦しい。
それを看護師さんに主張すると、応答がありました;
「痰は飲んでも大丈夫ですけど、できるだけ吐き出してくださいね。」
なんとかどうにかこうにかティッシュに出しました。これはしかし最初に
一回二回だけの話しでした。あとは特に問題はありませんでした。安堵。

入院2日目・8日午後の手術は予定の3時間で、無事に終わったのでした。

 

 

第一章・入院しました(初日)2020/4/7 (火)

私、入院しました」…、と言っても、新型コロナウィルス陽性ではありません。

全く別の話ですのでお断りしておきますね。

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いま、快晴の空が大きく横に広がる様(さま)を病院の入院棟・六階
6xx号室(相部屋)から眺めています。4/14 (火)。明日15日水曜は待ち望んでいた
退院日(予定)だ。明日退院できれば合計9日間にわたる入院生活となります。

 思い返せば16年前、2004年春に私たち家族4人はこの街に希望とともに引っ越して来ました。その年、父親の僕は転勤で勤め場所が変わり、第一子もちょうど中学校入学と、転勤と進学が重なった年でした。あれから16年の歳月は子供たちを成人にし、家から順次巣立って行きました。昨年初孫が誕生。うれしい日々でした。

それなりにいろいろなことが起こり、経験もして来たけれど、比較的大きな波風のない恵まれて順調な人生だったのかも知れません。

 

 話は今年2020年に移ります。3/5、前の病院の主治医による紹介状を持参して某大学医学部附属病院に来ました。その時点で私のスケジュール(運命)は自動的に決まりました。

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 次は3/24。術前の麻酔医説明と執刀医による術式説明とリスクの話、それらに対する理解と同意のプロトコルです。

 そして、4/7 (火)入院、翌日手術、15 日(水)が退院予定として、本人の意思とは無関係に全て病院側の判断で日程が決まりました。言い方があまりよく無いのであえて断っておくと、それで良いんです。この日程は早めで全く問題ありません。

 さて、話をさらに先へ進めましょう。

 でも幸いにも早期の手術が決まってホッとしたのも束の間。そこから先が要注意でしたね。新型コロナに感染しないよう、日頃のコンディションに万全を期して日々の生活をしてきました。手洗いとうがいの励行、マスクの着用、三密(密集・密閉・密接)を回避する行動パターンを極力維持するなどですね。

 そしていよいよの入院日。期せずして日本国が新型コロナウィルス感染のための「緊急事態宣言」を出す(4/8 午前零時;僕の入院日深夜)と言うタイミングにたまたま重なったのです…👇 そのため、家族のアテンドは手術の前後1名と、入院時と退院時だけに限定されました。

これはその時の記録です。

 

◉4/7 (火) 午後、12:45頃、入院受付へ。番号札22番号札。1:30頃、順番が来て、書類手続き、保証金7万円を納付。保険給付の為の証明書記入を病院に依頼
👉これは退院後2週間でできるとのことでした。

病棟の相部屋「6xx」号は、実は特別なゆかりのナンバーでした、と言うと家族には
バカにされるのですが。数字の奇遇はまたここでも…。本当に驚くばかりです。
げんかつぎ」では無いけれど、こういう時は何かしら心によりどころが必要。

 6階にあがり、ナースステーションに出頭、その後すぐに看護師さんが2名来て、
いろいろ説明。そのあとフロアーを歩いて回りトイレ、シャワールーム、談話室などを教えてもらいました。いわゆるツアーですね。興味津々。

 剃毛。小型電動バリカンで、セルフ…笑、今思えば、手術で使う腹部の「高さ・広さ」範囲などを聞かなかったけど。。教えてくれなかったなぁ。ささやかなるイベント。まぁ別段問題はなかったです(笑)。

眼圧の検査 👉 手術時には体が頭の方がやや低く下げられた状態になるらしい。
小さな測定結果の紙を受け取って6階に戻り、先程案内してくれた男性看護師に渡す。

そのあとは地下1階にあるコンビニに行き、雑誌2冊にサンドイッチと小ぶりのお寿司1個を買い、夕食前に談話室で麦茶と飲食しました。まだ余裕です。

・戻ると入れ違いに麻酔の男性(医師かその卵?)がベッドに来て、手術前の体調確認の軽い聞き取りがありました。1,2分です。プロトコルなのでしょう。

・談話室で食べている途中、病室から行方不明の私を探して管理栄養士も来ました。
アレルギー食材の確認をされる。これは至れり尽くせりっぽいぞ(^.^)と人生で初めて入院する私は思っていました。

・部屋に戻りベッドに寝転び、しばし週刊誌を眺めます。その後TVを点け、持参の長〜いイヤフォンがちゃんと聴こえるか確認。6時のニュースで「新型コロナ禍のための緊急事態宣言」報道を見て、その内容をお昼のワイドショーに続き確認です。
そして程なく夕食がくる。予定の 6 : 10 から少し遅れて来ました
👇写真の通りのものでした。

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栄養バランスは健康そのもの。

食べる前に女性看護師の指示で、下剤「ピコス」5ml を飲む。
※夕食は見るからにお粥の量が多め。
ミートオムレツは舌触りが滑らかで、んまいぞ。
ブロッコリーは茹で加減が絶妙でなかなかのものじゃ…おかずが足りないが
お粥で腹が膨れる感じの消化に良いメニュー。プロテインゼリー・グレープ味は
なんだかすごくねっとりしてる。お茶も飲む。ほうじ茶です。

 …とここで、入院から手術までを記録すべく、メモ取りを開始。笑

・7時過ぎ、予約していたシャワールームへ。タオル類は棚にあるので(甚平型寝巻と共に病院が契約する業者に申込書を入院手続きで提出してあり)自由に取って好きなだけ使えることになっています。(実際には毎日朝昼晩とタオルを取り替えることもなく
割と節約ムードでタオル類は何回か使っていましたが)

NHKニュースでの安倍首相Q&A見ながら、あとは歯磨きをして寝るだけです。
なんと言っても歴史的に後世に残る「国家緊急事態宣言」の夜なのですから…!!
💮そして明日4/8 (水) は予定通りの、ダビンチ手術。ロボット支援の術式です。幸い保険適用です。午後、オンコールで呼ばれて行います、との事を告げられていて、開始時刻はまだ分かりません。手術は3時間かかると言うことはもらった紙にも記載があります。場所は2階。そこでの手術後、その日一泊はHCUと言うハイケアの部屋(3階)で過ごす決まりだとの事です。(ICU) は命に関わることだから、ちょっと違う名前?と言う感じですね。

術後、全身麻酔からの回復を含めて、3時間安静で生体モニタリングをする為らしい。

◉夜は10時消灯。ベッドと上掛けが軽い為、なかなか熟睡は叶わず。深夜2時、4時にトイレ、その前にも一度。朝は6時半過ぎ起床して一度。8:20 トイレ。
髭剃り後は👉TVを見てる。同室の方々は朝食です。部屋にある洗面台で歯磨きしてる人のうがいの音。外は晴れで昨日(火)と同じ。駅と電車の走行が見えます。遠くには世田谷区のエリアが望めます。

※ ピコスルファーナトリウム内用液 0.75%
日医工」術前日4/7 (火) 18時👉夕食持参の時、指示あり。食事前に服用。
透明の液体でした。翌日の手術に備えて効き目が遅めの下剤を服用します。

 

Quality of Life - 前立腺の手術 (前書き) 

 それは4月初め。新型コロナ感染症(COVID-19)で世界中が揺れ、日本は「いつ緊急事態宣言が発令されるのか!?」と不安が国民全体に渦巻いていた 2020年(令和2年)のこと。
1月に実施した「生体検査」の結果判明~かかりつけ泌尿器科の医師の診断(宣告)を受けました。「大学病院に入院して手術する」ことを決断した私は、続いていくつかの検査(MRIや骨シンチグラムなど)を受検。1月からの3か月弱、コロナに感染したら4月に予定する手術どころか入院すらもできなくなることを大いに心配していました。
一度予定を逃したらその後、いつ手術入院が叶うか、当時は全く分からない状態で、それは大きなリスクとなっていたからです。とても気をつけて毎日を暮していました。

 そして幸いにも健康を維持したまま予定日(4/7)に入院。いつか何かのお役にたてるかもしれないとも、あるいはまた、そもそも自分のためになどと考え、入院初日からスマホに毎日、日記というか記録をつけ始めました。その記録(実話)です。

本当は全く別のアカウントを新しく立ち上げ、別名(匿名)で記録公開するつもりでした。ところが、ずっと以前から使っているアカウントに別ページ設定し原稿として記録しておいた。そうしたところ、あとから作った別アカウントに原稿を Copy & Paste しても「記録保持することができない」と判明。おそらく他人のブログをコピペして(悪用)できないよう、機能設定の制限をかけているのではないかと想像しますが、真因は分かりません。結果的にこの領域でそのままブログアップします。

 …という背景がありまして、このページで、今から、一日ずつ、一年前の2020年4月7日の入院初日からの記録を、Upしていくことにします。